ビデオゲームと教育の共通点は世界をどちらの方向に導くのか

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 売れるためのゲームバランス

ビデオゲームがどのような社会的商品であるかということを、子どもに伝えた上で楽しませたいということを前回書きました。
ビデオゲームが売れる、または普及するということはすなわち、その企業に有益であるということに他ならないわけです。
そりゃ、企業ですから、得なことがないのに無料ダウンロードなんかさせないわけです。
ビデオゲームが普及することで、ゲーム内課金に期待が持てるとか、広告収入が入るとか、ゲーム内の権利を企業に販売するとか、そういった何らかの利益がないわけがありません。
となると、ビデオゲームを作成する側は、その商品に対する需要が拡大するような、色々な工夫をするわけです。
 
そのうちのひとつが、ゲームバランスを整えるというものです。
つまり、誰がやっても、放棄したくならない程度の軽い負荷を与えて、達成すると当然、達成感を得られるようなゲームバランスです。
 

 ゲームの目的

改めて考えてみると、昔のビデオゲームは高得点や面クリアそのものが目的だったように思われます。
古くはインベーダーゲームから懐かしのロードランナー。
一斉を風靡したテトリス。
どれも、より高度な技能を求められるものでした。
当然、私は半分もやらないうちにあきらめたものです。
ドラゴンクエストの頃になると、ストーリーを楽しむ傾向が強くなり、それでもレベル上げなどの一定の作業を強いられていました。
どうやってストーリーを先に進めてよいかわからず、あーでもないこーでもないとやっていたのを覚えています。
 
そして、近年のビデオゲームはどうかというと。
 
あくまでも私個人の意見ですが、自己肯定感の獲得および情報・時間・空間の共有化が目的となっているような気がします。
と、まぁ。
近頃のビデオゲームは、難易度が低く、その割には達成感があるように作られているわけで、達成感を得ることができるから自己肯定感も得られるし、ストレスなくゲームを進行できるようになっているわけです。
 

 教育技法とゲーム

実は、これは、ビデオゲームだけに言えることではないと考えています。
そうなんです。
このブログの内容に関わること、つまり教育そのものが、ビデオゲームと同じ道をたどっているのではないかと思うのです。
 
近年の教育は、みんなができるようになるために難易度を下げて、褒めて達成感を上げ、できたという自信をうえつける。
そのために、学校の教員たちは、授業技術を磨き、授業を組み立てています。
 
まったく、脱帽の限りです。
 
それはそれでよいことですが、学校を中心とした学習の中で、技能を身につけなければならないのは、先生ではなくて生徒だということを忘れてはなりません。
生徒たちこそ技能を身につけなければならないのに、その部分の疑念は抱かれることなく、むしろ親も先生の技能についてとやかく言うようになってしまいました。
 
自分の子どもの技能向上には見向きもせず……です。
 
ビデオゲームに対して、もしくはそのありように対して、否定的である親が多いにも関わらず、そのビデオゲームと同じ方法論をとる教育を完全肯定するようなことは、私はしたくはないと思っています。
今の教育は、学習する気がない子どもに対して、いかに学習を好きになってもらうかに焦点があたるあまり、学習の内容や質、そしてその活用能力を少し脇に置き気味なのではないかと感じてしまいます。
 
ゲーム業界と教育界、そしてそれを支える子どもと親。
売れるために、非難されないために、気楽にできるために、子どもが今喜ぶために、おのおのの動機が一致したからといって、望ましい方向へ世界が進んでいるとは言えないような気がするのは私だけでしょうか。

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