テストの反省が「ケアレスミス」だった場合の落とし穴

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 テスト返却後

定期テストが返却され、教室の中はなぜだか華やかな感じになります。
点数が思わしくなくても、やれ「俺の方が1点高い」だの、それほど切実に受け止めてもいないのに「もう生きてられない」だの、阿鼻叫喚と思いきや、少々お祭りのような雰囲気が漂うこと、しばしばです。
 
さて、家に帰って、親にテストを見られ、それでも反省の弁を述べなければいけない子どもたちは、よく「ケアレスミス」や「うっかり」という言葉を使って反省をします。
 

 ケアレスミスに隠れているもの

その「ケアレスミス」という反省。
私はとっても不安に思います。
 
そもそも「ケアレスミス」とは注意不足によって発生したミスということです。
しかしそこには、「本来ならできた問題だった」という、反省というよりどちらかというと、「たまたま実力がはっきできなかったから仕方がない」といった自己正当化があるような気がします。
「本当なら、自分の実力なら、できたはずの問題ができなかった。これはもう、注意不足が原因によるミスでしかない。よし、次は注意しよう。」と、反省はしてみるものの、そこには具体的な改善点が存在しない上に、存在させる必要すらないと自然に認識しているようで、私はとても怖いのです。
しかも、親や先生も子どものその反省を聞いて、「それならば仕方がない」と対応してしまいます。
せいぜい対応したとしても、「次は注意深くやれよ」といった実に具体性のないアドバイスに終始してしまいがちなのです。
私もちょっと気を緩めるとそんな発言をしています。
 
でも、それって違うんですよね。きっと。
色々な考え方があるとは思いますが、大事なのは、そのミスが、純粋な脳内エラーなのか、力不足によって起こったことなのか、を見分ける必要があります。
 
もし、純粋な脳内エラーによるものであるならば、これはもうどうしようもないと割り切ることが大切です。
だから、反省なんてものは存在しないということになります。
しいて言うならば、どうせ出てしまうエラーならそれを計算に入れてテストに臨むことです。
もし、全知全能の神のような人、完璧な人であれば、エラーをしたとしても、失点がエラーのみになって高得点を獲得できるはずです。
 
また、力不足によるミスならば、そのミスを減らす方策を取り入れるべきです。
いろいろな原因に対応するいろいろな方法があるに違いありませんが、ひとつの方策として挙げられるのが、ルーティーンの形成です。
例えば一番メジャーなのが、電車の運転手や工事作業員の指さし声出し確認です。
これは原始的ながら手を抜いてやらなければ、かなりのミスを減らせるはずです。
 

 言い訳に使われるケアレスミス

話をもどしますが、いずれにせよ重要なことは「ケアレスミス」という言葉で自分の改善点の発見の機会を無に帰してしまわないようにすることです。
本人の「できる」という思い込みによって「ケアレスミス」と判断されたら最後、「できないくせに改善することを放棄し」「自分でもそのことに全く気づいていない」という状態になってしまうのです。
 
「ミス」は「ミス」だし「×」は「×」。
 
自分の習熟度が不足しているからこそ、「×」にもなるし「ミス」もします。
後でどんな情けないミスだと気がついたとしても、それは自分の力のなさとして、まっすぐ受け止めてほしいのです。
私の子どもは小学3年生と1年生と年少さんですが、私の子どもも含めて最近の子どもは言い訳が上手ですよね。
これは言い訳をすることで自分の身を守ることができるという経験を積み重ねてきたたまものではないですか?
できる限り、言い訳の奥にあるものを見つけて、それを子どもたちに受け入れてもらえるように気づかせてあげたいと思います。

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