【道徳】正しいという判断はどうあるべきか(前編)

今後の励みのためにシェアをお願いします。

%e3%83%88%e3%83%ad%e3%83%83%e3%82%b3

 トロッコ問題

少し前にマイケル・サンデル教授の『これから「正義」の話をしよう』という本が売れました。
ハーバード大学白熱教室というNHKの番組にもなりました。
何が正しいのかという哲学の授業です。
ちなみに哲学の中で善悪の議論をすることを倫理学とも呼びます。
 
さて、そのマイケル・サンデル教授の授業のはじめにトロッコ問題という倫理学の世界では有名な命題が提示されます。
【命題1】あなたは線路の分岐にいます。猛スピードでそこをトロッコが進んできました。このまま進むと線路上の5人が確実に死んでしまいます。しかし、今あなたが線路の方向をレバーで切り替えれば、違う路線に入り、そちらには1人しか人がいません。もちろん、切り替えた場合にはその1人が確実に死にます。あなたは切り替えレバーを作動させますか?
こういった問題を提示すると、まず間違いなくどちらも選択せずに全員が助かる方法、例えば大声で叫んで5人に知らせる、などをほとんどの人が考えます。
マイケル・サンデル教授には特許料をお支払いできず大変申し訳ないんですが、私も中学校教諭をしているころに少なからずこの命題について授業を実践しました。
色々とアイデアが出るんですが、ここではそれらは全部拒否をします。
ようするに、
①あなた自身の手で5人を助けて1人を殺すか。
もしくは、
②あなたは行動することなく、5人を見殺しにするか。
という判断をするのです。
 
で、その判断をし、①②の2つのグループに分かれて、考えたことを中学生同士が議論しました。
その議論を行った上で、次の命題を提示し、同じようにグループに分かれて議論をするのです。
【命題2】あなたは線路を見下ろせる崖にいます。猛スピードでトロッコが進んできました。このまま進むと線路上の5人が確実に死んでしまいます。今ふと見ると、がっちりとした大男があなたの目の前にいます。この人を崖から線路上へ突き落せばトロッコは確実に停止して5人の命が救えます。あなたはこの大男を突き落しますか?
①つきおとす
②5人を見殺しにする
授業では、【命題1】で①だった生徒も【命題2】では①から②に変更する人がほとんどでした。
まぁ、自分で手を直接的に手を下すから嫌だってことがあるのでしょう。
生徒たちはいろいろな議論をしていましたが、お互いわかるけれども納得しきれていないという様子でした。
この後授業は続くのですが、それは中編に。
 

 バーチャルリアリティ

最近、このトロッコ問題の【命題2】について、バーチャルリアリティの世界で実験をした結果が発表されました。
事前に【命題2】についてアンケートを取ったところ②を選択した人が20%であったのに対し、バーチャルリアリティの世界では70%が②の選択をしたというものです。
 
これは私がよく聞いているポッドキャストのバイリンガルニュースでも話題に挙げられていましたが、研究結果としては、建前(アンケート)と実際の行動(バーチャルリアリティ)では差が生じるといった内容になっていました。
 
私が思うには、バーチャルリアリティはあくまでもバーチャルリアリティの世界であると、多くの人が認識しているのだという結果に思えます。
多くの人がバーチャルリアリティは、やはり仮想であって、だからいろいろな実験をノーリスク、もしくはローリスクでできるのだと考えているのです。
中にはそれが判断できない人もいるかもしれませんが、ありがたいことに、そういった誤認をする人はまだまだ少数であるような気がします。
むしろ、バーチャルリアリティの世界でも、現実世界と同様の思考であったり倫理観であったりするほうが、今の世の中、人類としての大問題なのではないかと思います。
 
人にはそもそもバーチャルリアリティの能力が備わっているのです。
仮想現実というよりは、想像力とか予測とかの方がしっくりくるかもしれません。
多くの人が、いろいろな条件や状況から想像力を働かせて、未来を、他人の気持ちを、自分の気持ちを予測した上で現実の、そう1回しかできない現実の中の判断を下すのです。
 
我々大人が子供たちにしていかなければならないのは、その想像力と予測する力を育てることです。
だから、いろいろな意見や考えを交換したり戦わせたりする必要があります。
道徳というと善なることを教えるようなイメージがありますが、それは根本的に間違っています。
道徳とは、自分の善を練りだせることと、他人の善を理解しようと努めること、です……だと思います。
そういった意味ではバーチャルリアリティだって、否定的なものではないような気がします。
多くの大人が勘違いしていること。
それは、ものやことに善悪が存在すると思っていることです。
善悪は、つまり倫理観はその人の中にあるということを理解したうえで、表面的な対応ではなく、根本的な対応をしていかなければなりません。

今後の励みのためにシェアをお願いします。

今後の励みのためにフォローをお願いします。

コメント

  1. […] 【道徳】正しいという判断はどうあるべきか(前編) […]