【社会】やませは地理で学ぶのか

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 やませ

やませとは東北地方に吹く夏の季節風です。
教科書では地理分野で当然、太字(重要語句)扱いです。
東北地方は本州のほかの地域と比べて夏もすずしくなります。とくに太平洋側では、やませとよばれる北東の冷たい風がふくと、曇りの日が続き日照時間が不足して気温が低くなります。やませがふくと、太平洋側の稲作農家はたびたび冷害になやまされてきました。『中学生の地理』帝国書院
と説明されています。
 
さて、これを学習した中学生は、どういった印象を持つのでしょうか。
まぁおおかたは「ふ~ん」でしょう。
ごく一部の生徒が「テストに出るかなぁ」といった感じでしょうか。
あまりの反応のなさに先生は言うのです。
「どうして冷たい風がふくかわかるかい?」
理由の探求というやつですね。
いや、馬鹿にしているわけではありません。
私も、そう生徒に発問した経験がありますから。
 

 季節風の原理

季節風というのは、とても大ざっぱんに言うと、気温の差による空気の移動です。
夏は太平洋側から日本に風が吹き、冬はユーラシア大陸側から日本に風が吹く。
それが季節風です。
やませは、夏の季節風が寒流である千島海流の上を通過する際に冷えて、冷たい風として日本列島にくるのです。
だから、冷たい風なんですね。
 
と、ここまで話して私は反省します。
 
なぜってこれって「どうして冷たい風がふくかわかるかい?」の答になっていないからです。
そもそも季節風が吹く仕組みがわかっていないわけですから、理由になり切れていないのも当然です。
 
中学3年生理科の天気という分野で気象について学習します。
ちなみにやませを学ぶのは中学2年生の社会科地理。
季節風が吹く仕組みは、もしかしたら中学1年生の最初のころに社会科地理でやっているかも。
しかし、それを自分の知識としている生徒はごくわずかで、その上でやませをだされても、やはり「ふ~ん」で終わってしまう現実。
しかもテストで出題されて試されているのは、やませという単語を覚えているかどうか。
 
これではなかなか……やませを学習する意図を感じにくいですよね、教えている側が……。
 
一応、簡単に季節風の仕組みを伝えておきましょう。
あくまでも簡単にです。
 
①夏、外は体が解けちゃいそうなぐらい暑さ。クーラーの効いた涼しい部屋で、ある人がいきなりガバァーっと窓を開け放ちました。
②冬、外は体が凍ってしまいそうなぐらいの寒さ。暖房の効いた暖かい部屋で、ある人がいきなりガバァーっと窓を開け放ちました。
あなたがより激怒するのはどちらの場合ですか?
 
イメージしてみましょう。
いや、両方とも怒りますよ。
で、勘弁してくれと言わんばかりに窓を閉めに行くのです。
どちらのほうが一刻も早く窓を閉めに行くかってことです。
もちろん、②ですよね。
要するに冷たい空気は暖かい空気への流れ込んでいくのです。
①の場合は部屋の冷たい空気が外に逃げるのに対し、②の場合は外の冷たい空気が部屋の中に吹き込んでくるので、怒りの度合いも違うのです。
 
では、地球規模でそれを考えてみましょう。
そこで確認しておかなければならないのが、水は地面にくらべて温まりにくく冷めにくい性質をもっているということです。
どうも、今の中学生はこの性質を実感していない人が多いようです。
プールサイドでアチチな経験をしたことがないのだろうか。
それとも、その経験を学習材料にしていないのだろうか。
疑問を投げかける子どもが減ったのか。
疑問に答えられる大人が減ったのか。
 
ともあれ。
夏の暑いときは太平洋は水なので温まりにくく、ユーラシア大陸は地面なので温まりやすい。
となると、ユーラシア大陸のほうが暖かいので、温度の低い太平洋側から空気が流れ込んでくるわけですね。
これが季節風という大きな空気の移動となるのです。
 
この話。
感覚で申し訳ないんですが、中学1年生にすっきり理解してもらったという印象がないんですよね。
特にここ5年ぐらい……。
空気って見えないからかもしれませんが、そうはいってもなぁって感じです。
生活経験がたりないのかなぁ。
生活経験を学びに結びつける大人が減ったのかなぁ。
この場合の大人って、学校の先生はもちろんですが、どちらかというと先生ではない気がしますねぇ。
 

 やませを多角的に理解する機会

中学1年生の地理で、季節風そのものの仕組みを、同じく、西岸海洋性気候の学習で風と海流の組み合わせを学びます。
中学2年生になると、地理でやませそのものを。
そして理科で天気を学習します。
やませを学習するというのは、今までの学習内容を復習する機会でもあるのです。
そして、やませを利用して総合的に現象や原理を考える機会でもあるわけです。
 
また、中学2年生……いや、今は中学3年生まで社会科の歴史が大幅に食い込むから、中学3年生かな。
公民分野を2学期中間考査以降から学習する中学校を最近よく耳にしますが、公民ってそんな2学期後半と日数の少ない3学期で学習できる内容量だっけ?って思います。
これにも大きな問題があると思いますけど、それは少しおいておいて……。
 
中学3年生の社会科歴史で1929年の世界恐慌をしっかりと学習します。
当然、第二次世界大戦のきっかけとされる歴史的事象ですから当然です。
でも、この時の日本の様子については、それほど深く学習しません。
第一次世界大戦時の好景気から一転して戦後恐慌、関東大震災、金融恐慌、そして1930年昭和恐慌あたりは日本の歴史にとっては重要であるものの、公民分野の経済を学習していない中学生には少し難しいからでしょうか。
個人的には、片岡蔵相の失言と金融恐慌などは、社会科で学ぶべき本質だと思いますが……。
 
話がそれました。
で、その昭和恐慌のとき、1930年日本で初?といわれる豊作飢饉がおきました。
これも、経済を学習していないと難しいのかなぁ。
農作物が取れすぎて貧乏になるって、イメージしにくいですものね。
で、その翌年、一転して東北地方で冷害による大凶作に見舞われたんです。
昭和恐慌はある一面で農業恐慌でもあるわけです。
この時の農村の様子がなかなかつらいものです。
当時のある新聞記事では、子どもたちが学校に空の弁当箱をもってくるのを見て、学校の先生が涙するようなことが伝えられていました。
この話をすると、中学生はこういうのです。
「学校でなにか食べ物が配られるから、その(器として)ために弁当箱を持っていくってことでしょう?」
これが、今の中学生の精一杯の理解力。
「なんで先生が泣くんだよ。」
と切り返すと、
「先生の分がへっちゃうからじゃねぇ?」
……。
 
これが今の中学生ですよ、皆さん。
何か私たちは間違えたことを教えてきちゃったのかもしれません。
子どもたちは、弁当の中身を入れてくることができないけど、それでも貧しいと見られないように形を繕っていると考えることはできないようなのです。
 
結局、複合的要素によって東北地方での飢饉が起こるわけですが、でも東北地方の人たちにすれば、この飢饉の直接的な原因はまさにやませだということです。
逆からいうと、やませの結果ともいえます。
こんなところでも、やませの理解を深めるきっかけが転がっているのです。
 
今の子どもたちは生活経験が不足しているようです。
だから多角的にものをとらえるや、ものごとをつなげて考えることができなくなっています。
しかもそういったことを、家庭ではなく、学校でやらなければならない時代にきています。
そもそも、私のような親世代だって、もうすでに生活経験が少ない世代だと考えなければなりません。
だから、親も先生も、生活経験を子どもに与えることができないし、生活経験を学習のきっかけとすることも苦手なんです。
子どもたちの生活経験を増やして、多角的視野をはぐくむ学習を現実のものとするためには、実は親や先生が生活経験を増やしていったほうが、子どもたちを直接指導するよりも、近道なのかもしれませんね。

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