高校受験は必要だろうか

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 中学浪人

私は愛知県は名古屋市で育ちました。
そのせいでしょうか、長野県にきてからすぐ「ちょっと前までは中学浪人が結構多かったんだよ」という話を聞いて、すごく驚いていたことを記憶しています。
実際に私は20年前ぐらいに、実際に中学浪人の学習の場に携わらせていただいたことがあります。
だから余計、「中学浪人」の話がリアルに感じられた分だけ、驚いた記憶もその後大きくなってのかもしれません。
愛知県などは、それでも私立高校も多くて、どこかしこに進学できたものです。
人口も多かったからでしょうね、高校の偏差値ランキングも短い間隔で高校名が並んでいました。
 
そう思うと、長野県などの人口が少なく、交通の便も悪い、そういうところで高校進学が思うようにいかなくて浪人という選択肢しかない人がいたことは容易に想像できます。
しかも今でも長野県では出身大学を聞かれることはなくとも出身高校は聞かれることがあります。
まぁ、大学名を聞いても、東大・京大ならいざ知らず、そのあたりの大学では普通の人は名前すら知らないのが現実です。
そういった意味では、よりコミュニティ感のある高校名のほうが現実的なのでしょう。
だから、ちょっと昔の人はもう1年浪人しても、いい高校へ行こうという気持ちになるのもわからなくはないですね。
今でも、飲み屋なんかで、同じ高校出身だと意気投合しちゃう人を良く見かけます。
私にとっては肩身がせまい風習ですが……。
結構、地元でも同じ思いをしている人がいるかな?
 
そんな長野県でも、最近は少子化に直面して、生徒の割に高校数が多いという現状のため、高校再編が行われています。
子どもが減ってきているのに高校という受け皿だけが残っている状態なわけです。
とりあえず現状では、1校あたりの入学者数を減らす方向性で何とかしている感じです。
ただ、人口が少なく交通も不便であることを考えると、むやみやたらに高校を減らして集中させるわけにはいかないという側面もあります。
実際、家から出て下宿し、高校に通っている人もいますしね。
教育サービスという観点から考えれば、特に公的な施設であることを考えれば、なかなか民間のようにはいかないのもわかります。
 

 高校受験をなくして高校義務教育化

そりゃもう、中学3年生はほぼ全員が高校に進学するようになりますよ。
いや、実際なっているかな。
しかも、その授業料は基本無償となりました。
こうなると、現在の日本では、高校までが義務教育のような扱いになってきます。
 
いっそのこと高校受験なしで、人口比に応じて高校を配置し、義務教育みたいにしちゃえばいいのにって議論が出てきそうですね。
そういう観点ならば再編もそれなりにスムーズにいくのではないですか?
1つの基準で物事がきめられるってのは、決めるという一点においては、とってもよいことですよね。
高校受験がなくなって、進学する高校を行政が基本的には管理する。
そうすれば、受験勉強なんかもなくなりますし、中学校での学習の優劣に目くじらを立てる人が少なくなります。
それこそ生きる力を6・3・3の12年間でつけられるわけですから、さぞ立派な青年がたくさん現れることでしょう。
 
……。
それって本当ですかね?
もし、そのような制度になったとしたら、まず間違いなく私立高校はよだれを垂らして生徒を集めだすことでしょう。
「あなたの子どもに特別な教育を」ってね。
エリート、とまでは言いませんが、それでも日本を担っていく人材にはそれに応じた教育を施すべきだ、ぐらいはきっと主張するに決まってます。
仮に私立高校がそう主張しなくとも、おそらく我が子の未来を考える親たちが、そういった需要を表面化させて、そういった流れを加速させるにちがいありません。
 
みんなと同じ教育では、同じものにしかならない……というのは、親が潜在的に持つ恐怖です。
その証拠に、中学校受験をする小学生が増えることはあっても減ることがないのが現状です。
そう考えると、おそらく「高校受験をなくして高校義務教育化」する政策は、教育の格差を大きくすることに役立っても、小さくすることには貢献しないように思われます。
 
現実的には、公立高校でさえ中高一貫の制度を導入し始めましたし、人口の多い東京に至っては、都立高校で各校独自入試を実施しているぐらいですから。
これは明らかに教育格差を意識したものであると思います。
そして、これは教育行政によるものというよりも、やはり消費者側のニーズによるものだと思うのです。
できる限りよい教育を受けさせたい親心がそうさせているということでしょう。
だから、教育格差をなくすという方向には、世の中なかなかいかないわけです。
つまるところ「高校入試をなくして高校義務教育化」へと、世の中は動いていくことはないでしょう。
それが、人口の多い都会が主導権を持って世の中を作っていく限りは……なおさらです。
 

 高校受験が必要な理由

さて、政治的な話はさておき、私は長く中学生に携わってきた教育畑の人間ですから、そういった観点から高校受験は必要かということを考えてみます。
 
率直に言って、必要だと思います。
大前提として、そこで優劣を決めるがごとき社会システムは当然いけません。
「〇〇高校だから勝ち組」とか「〇〇高校なんか行っても無駄だ」とかね。
 
そういった前提の上で、やはり青年期の経験として必要だと考えています。
 
特に、今の子どもたちには不可欠とさえ思えます。
あくまでも私の感覚と言うことでご理解いただきたいのですが、近年の子どもは私の子どもの頃と比べてもまじめな子が多き気がします。
 
これは、皮肉です。
「まじめ」と書いて「言われたことをしっかりこなそうとする」と、まず読みます。
おそらく先生も親も、この「まじめ」さが、子どもとしての美徳のひとつであろうと考えているでしょう。
 
その証拠というか、よい事例のひとつが、親の「宿題やったの?」と「忘れ物はない?」発言です。
以前ある英語の先生が”I have my homework to do.(わたしはしなければならない宿題を持ってます)”というto不定詞の形容詞的用法の例文を見て怒っていました。
「しなくていい宿題なんか、世の中はねぇんだよ!」だそうです。
もっともですね。
で、「宿題やったの?」は宿題までやっていればいいってことに聞こえませんか。
それを何十回(約2週間)、何百回(約1年間)、何千回(約10年間)と聞いていたら、自然とすり込まれてしまうと思いませんか?
要するにその言葉がけは、一方でそういう力を持っているということなんです。
例えば「宿題以外に今日はどんな勉強をしたの?」と子どもに話しかけてみたらどうですか?
「忘れ物はない?」もやはり、一番低いレベルの声がけかも……と思ってしまいます。
言い方はいくらでもあるし、それを考えて実践することは、難しいことだとしても、子育てにとってとっても面白いことだと思うんですよね。
 
で、この「まじめ」な子は、毎日忘れ物をしないように連絡帳をチェックし、宿題をしっかりやっているのです。
素晴らしいことではありますが、とどのつまり、それまでな気がしてしまいます。
それが習熟してくると「まじめ」と書いて「言われたこと以外はできない」と読むように、変化していきます。
ようするに私が持っている、今の子どもたちの印象というのは、そういうかわいそうな「まじめ」さなのです。
そしてこれは、子ども自身の責任ではないような気がします。
 
話を学校の教科的な学習に絞ります。
ようするに、宿題をしっかりとやった子どもは、学習面において、どうなっていくかというと、家で1人でもできるような簡単な学習、どちらかというと訓練、を繰り返しやることで、それができるようになっています。
つまり習慣化するんですね。
与えられたことをこなすという習慣がね。
 
そういった生き方をしてきた子どもでも、中学3年生になると高校入試という制度によって、自ら学習をコーディネイトするようになります。
いや、コーディネートせざるを得なくなります。
だって、高校入試の学習なんて中学校で詳しく指示してくれませんから。
それに、子どもひとり一人、目標も必要な学習内容も学習深度も違いますから、そりゃ自分で自覚をもって自分の時間と行動を決めていくしかありませんよ。
 
つまり高校入試を目の当たりにして、ほとんどの中学3年生が、ここで大きな転換期を迎えるということです。
「指示のない、つまり自分で自分の勉強ってどうやってやるんだろう?」という命題に直面するのです。
これはいい!
 
おそらく初めて自分の意思で勉強をするわけです。
 
でも、これがなかなかできない、というかどうやっていいかわからない。
なんせ、15年間生きてきて、そういった経験がありませんから。
でもね。
その試行錯誤が子どもたちの人生にとって、とても大きな経験になると、私は思っているんです。
だから、高校受験は必要だと思うのですね。
 
そりゃせっかく高校受験するのであれば、また志望校が決まっているのであれば、なんとしても子どもの目的を具現化してあげたいと思うのは、ほとんどの親が等しく思うことです。
でもそこで、自分で自分の行動方針を決めるといった、今まで欠落してきた、大事な大事な経験を、もし仮にここで埋めることなく過ぎ去ってしまったら?
きっと高校生になってから、またなんとなく高校生活は過ごせても、大学受験で、もし大学受験がうまくいったとしても、大学生活で、大きな損失を招くことになるのではないかなぁ。
 
今の子どもたちは、教育技術の発展により、また親の献身的な指導により、自分で自分を動かす機会が減っているような気がします。
そんな中で、「自分の勉強を自分で決めて実行し、試行錯誤する」という経験をするという一点だけでも、高校入試という経験をすることに意味があると思うのです。

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