【英語】世界の言語なら英語、の最もな理由

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 憎っくきコロ

正直、中学校の教科の中で一番嫌いでした。
 
愚痴っちゃいますけど、
私が中1のころ教わった英語が、ひと昔前にあったお仕置き付帯授業でして、5点満点の小テストをやって2点以下の人は、授業終了後に廊下に正座させられて、先生に割れた竹で頭を叩かれるんです。
もちろん竹は割ってあるので音の割には痛くありません。
そのときの先生は「お・ま・え・は・あ・ふぉ・か・カ・カ・カカカ」と正座している人の頭を順番に叩いてきます。
休み時間ということもあって正直恥ずかしいです。
そして私は、そのお仕置きに初めて引っかかったんです。
その不合格になった小テストの内容が、「コロ、こっちへ来なさい」でした。
私は”Come here,Koro.”と書きました。
まぁこれが×になって、結局、お仕置きへといざなわれていくわけです。
「なんで”Coro”でなければ×なんですか。」とくってかかっても、「教科書がCだから」と取り合ってもくれません。
私の英語人生はここで終わりました……。
 

 中学生の持つ素朴な疑問

いや、そうではなくて……。
子どもたち、とくに中学生に「何で英語を学ぶのか」と問われたときに、なんて答えるか……です。
 
こういった答というのは千差万別で、しかもイカシタ答がいろいろあると思います。
特に中学校の先生なんかは、そういった質問が日常的に飛び交いますから、普通なら前もって得意な答えを用意しておくものですし。
こういった中学生の素朴な疑問の答えというのは、ぜひ色々な人に聞いてみたいですね。
さらに、こういう話題を元に、ポットキャストなんかもやってみたいなぁ。
また話がずれました。
 

 英語が使われる環境の多様性

で、その答えです。
一番オーソドックスな答は、「国際社会だから」とか「世界中の人と会話ができるから」とかですかね。
まったくもって正論なのですが、果たして中学生に、その言葉が響くかといったら、少し疑問です。
あまりにも正論過ぎて、なんかこう、他人事みたいな気がするんですよね。
 
中学生、つまり青年期は、見る自分と見られる自分、大人と子どもが正対している時期ですから、きれいな言葉とかっこいい言葉は少しずれがあるのではないかと思うのです。
ようするにありきたりの正論よりも、ちょっとスパイスが効いているぐらいがちょうどいいのかも。
 
参考になりませんが、私のいつもの答です。
 
「一番多くの人と話せるようになりたいのなら、人口が多い中国の言語、つまり中国語がいいと思いますよ。
何しろ13億以上の人がいますからね。
スペイン語もいいかも。
フランス語やイタリア語、ポルトガル語なんかの日常会話も雰囲気でなんとかなるって聞きます。
それでも、私は英語を選びます。
しかも、会話ももちろんですが、やはり書いたものを読めるように、そして文章を書けるようにしたいですね。
会話、会話って言われていますが、日本の英語教育のすごいところは、きっちりした英語だということです。
英語を母国語にしている人たちでも、大文字と小文字の区別なく使っている人が多いですよぉ。
ああ。
 
なぜ英語なのか?
ということですね。
 
英語を公用語としている国や地域が多いからです。
約80の国や地域で使われます。
それって多くの人と話せるからということと同じじゃないかって?
英語の場合、だいたい6億人ぐらいとは言葉が通じます。
ただ「多くの人」というのであれば、10億以上と会話できる中国語ですよ。
この場合の「多い」というのとはちょっと違うんです。
世界には、いろいろな言語はもちろん、宗教、習慣がありますね。
非常に大きなくくりになってしまいますが、国や地域によって、ものの考え方や価値観は異なりますよね。
 
例えばアメリカとカナダは隣同士であっても、多少なりとも価値観が異なります。
国家はもちろんのこと、地域(州)でも、集団としての影響を受けているためか価値観が異なります。
あるカナダ人はこう言ってました。
『アメリカ人は、自分たちが正義だと勘違いしているし、アメリカが最強だと思っている。
世界のリーダーだなんて思い込みは国家だけにしておいてほしい。』
強いアメリカでなければならないという自意識過剰さが、腹立たしいと言っていました。
……今の大統領選を見ていると、少しわかる気がしますね。
アメリカ人は、カナダ人のことをどう思っているのでしょうね。
いずれにせよ、そんなアメリカとカナダみたいに価値観が異なる国であっても、英語なら両方ともの価値観を知ることができちゃうのです。
 
国や地域レベルでいっても約80の異なる価値観に触れることができる言語なんです。
英語は、英語そのものに国家や民族のアイデンティティがない、もしくは薄れてしまった言語なのかもしれません。
だからいいんです。
 
私は、思うのです。
国際化社会というのは多様な価値観に接触し理解することで共存する社会なんだろうと。
そうすると、できるだけ楽をして、多種多様な価値観に触れるためには、しかも読み物としてそれを吸収するためには、英語が一番幅広いのじゃないかと思うんですよね。
だから、私は中国語でもスペイン語でもなく、英語を学ぼうとするんですよ。」
実際、私が生徒たちに話したことがあるひとつの答です。
あくまでもひとつの答ですよ。

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コメント

  1. […] 以前これについて書いたブログはこちら。 […]

  2. […] 英語にコンプレックスがある私にとっては、 […]